和俗童子訓60

貝原益軒著『和俗童子訓』60

初て書を読には、まづ文句みじかくして、よみやすく、覚えやすき事を教ゆべし。初より文句長き事ををしゆれば、たいくつ(退屈)しやすし。やすきを先にし、難きを後にすべし。まづ孝弟、忠信、礼義、廉恥の字義をおしえ、五常、五倫、五教、三綱、三徳、三事、四端、七情、四勿、五事、六芸、両義、二気、三原、四時、四方、四徳、四民、五行、十干、十二支、五味、五色、五音、二十四気、十二月の異名、和名、四書、五経、三史の名目、本朝の六国史の名目、日本六十六州の名、其住せる国の郡の名、本朝の古の帝王の御謚、百官の名、もろこしの三皇、五帝、三王の御名、歴代の国号等を和漢名数の書にかきあつめをけるを、そらによみおぼえさすべし。又、鳥、獣、虫、魚、貝の類、草木の名を多く書集めて、よみ覚えしむべし。此外にもおぼえてよき事多し。そらに覚えざる事は、用にたたず。又、周南、召南の詩、蒙求の本文五百九十八句、性理字訓の本編、三字経、千字類合、千家詩などの句、みじかくおぼえやすき物ををしゆべし。右の名目に、編などを多くよみおぼえて後、経書ををしゆべし。初より文句長き、よみがたき経書を教えて、其気を屈せしむべからず。経書ををしゆるには、先孝経の首章、次に論語学而篇をよましめ、皆熟読して後、其要義をもあらあらとききかすべし。小学、四書は、最初よりよみにくし。故に先右に云所の、文句のみじかきものを多くよませて、次に小学をよませ、後に四書・五経をよましむべし。


【通釈】

初めて書物を読むにあたっては、まず文句が短くて読みやすく、覚えやすい事を教える。初めより文句が長い事を教えると、退屈しやすい。易しいのを先にし、難しいのを後にすること。

まず孝悌、忠信、礼義、廉恥の字義を教え、五常、五倫、五教、三綱、三徳、三事、四端、七情、四勿(しぶつ)、五事、六芸(りくげい)、両義、二気、三原、四時(しいじ)、四方、四徳、四民、五行、十干(じっかん)、十二支、五味、五色(ごしき)、五音(ごいん)、二十四気、十二月の異名、和名、四書、五経、三史の名目、本朝の六国史の名目、日本六十六州の名、自分が住む国の郡の名、本朝の古の帝王の御謚(おんおくりな)、百官の名、唐土の三皇、五帝、三王の御名、歴代の国号等を和漢名数の書に書き集めたものを、読んで暗記させて覚えさせる。また、鳥、獣、虫、魚、貝の類、草木の名を多く書き集めたものを読み覚えさせる。この他にも覚えてよいことは多い。暗記して覚えることができないものは役に立たない。

また、周南、召南の詩、蒙求(もうぎゅう)の本文五百九十八句、性理字訓の本編、三字経、千字類合、千家詩などの句など、短くて覚えやすい物を教える。右にあげた名目に、編などを多く読み覚えて後、経書を教えること。初めより文句が長くて読みにくい経書を教えて、小児の気持ちを減退させてはならない。

経書を教えるには、まず孝経の首章、次に論語の学而(がくじ)篇をよ読ませ、皆熟読して後、その意味をも少しずつ説き聞かせる。小学、四書は、最初からは読みにくいものである。だから、まず右にあげたものの文句の短いものを多く読ませて、次に小学を読ませ、後に四書・五経を読ませるようにする。


【語釈】●五常 儒教で説く仁、義、礼、智、信の徳性。 ●五倫 儒教で説く人の常によるべき五つの道。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。 ●五教 五倫に同じ。 ●三綱 儒教倫理説の一つで、君臣・父子・夫婦の3種類の関係において、尊者に対する服従を道徳の大綱であるとする、 ●三徳 智・仁・勇の徳目。 ●三事 人として仕えるべき三人の人。君・師・父。 ●四端 惻隠(そくいん)(あわれみいたむ心),羞悪(しゅうお)(悪を恥じ憎む心),辞譲(譲りあう心),是非(よしあしを見わける心)の四つの情。 ●七情 儒教では)喜、怒、哀、懼、愛、悪、欲。 仏教では喜、怒、憂、懼、愛、憎、欲。 ●四勿 孔子が高弟の顔回に与えた視・聴・言・動についての四つの戒め。礼にあらざることを見たり、聞いたり、言ったり、行ったりしてはいけないという戒め。 ●五事 礼節を守るうえでの大切な五つの事柄。貌 (ぼう) ・言・視・聴・思。 ●六芸 古代中国において士分以上の人に必要とされた教養のことで、礼(道徳教育)、楽(音楽)、射(弓術)、御(馬車を操る技術)、書(文学)、数(算数)の6種。 ●両義 両儀。天と地。陰と陽。 ●二気 両儀に同じ。 ●三原 三元。旧暦1月15日の上元、7月15日の中元、10月15日の下元の3つの日で、道教の行事。 ●四時 一日の四つの時。旦(=朝)・昼・暮(=夕)・夜。 ●四方 東・西・南・北。 ●四徳 儒教で、人のふみ行うべき四つの徳。孝・悌・忠・信。また、天地自然が万物を育てる四つの道、。元(春で仁にあたる)・亨(こう)(夏で礼にあたる)・利(秋で義にあたる)・貞(冬で知にあたる)。さらに婦人のもつべき四つの徳、婦徳・婦言・婦功・婦容。 ●四行 孝、悌、忠、信。 ●四教 文(学問)・行(実践)・忠(誠実)・信(信義)の教訓。 ●四民 士・農・工・商。なお、江戸時代に幕府はこのような身分序列は規定しておらず、特に士は本来は武士のことではない。儒者が武士を統治者として位置付けるために『管子』の「士農工商四民は、国の礎」といったものを典拠として使ったにすぎず、本来は族長・貴族階層を指すことばである。 ●五行 古代中国に端を発する自然哲学の思想。万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという説。 ●十干 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。 ●十二支 子,丑,寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥。 ●五味 5種の味覚。物の味の5種。甘さ・酸(す)っぱさ・辛(から)さ・苦(にが)さ・鹹(しおから)さ。 ●五色 五行思想の五色である 青、赤、黄、白、黒。 ●五音 中国音階の五つの音。宮・商・角・徴(ち)・羽。 ●二十四気 太陰太陽暦においては月名を決定し、季節とのずれを調整するための指標として使われる。12の節気と12の中気が交互に配された二十四節気に対し、各月の朔日(1日)前後に対応する節気が来るよう、以下のように月名を定めている。

月名 一月 二月 三月 四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月 十一月 十二月

節気 立春 啓蟄 清明 立夏 芒種 小暑 立秋 白露 寒露 立冬 大雪  小寒

中気 雨水 春分 穀雨 小満 夏至 大暑 処暑 秋分 霜降 小雪 冬至  大寒

●十二月の異名 睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走。 ●三史 中国の正史の最初から『史記』『漢書』『後漢書』の三種。『史記』と『漢書』は「史漢」と併称し、これに『春秋左氏伝』『国語』を加えた「左国史漢」もよく読まれた。 ●六国史 奈良・平安時代に編纂された六つの官撰の歴史書。日本書紀・続日本紀(しょくにほんぎ)・日本後紀(にほんこうき)・続日本後紀・文徳実録・三代実録。いずれも編年体による記述。 ●周南、召南の詩 『詩経』国風の初めの二巻。『論語』に「子、伯魚(はくぎょ)に謂いて曰わく、女(なんじ)周南・召南を為(まな)びたるか。人にして周南・召南を為(まな)ばずんば、其れ猶お正しく牆(かき)に面して立つがごときか」(孔子が息子の伯魚におっしゃった。「お前は『詩経』の周南・召南の詩を学んだか人として周南・召南の詩を学ばないでは、壁の真正面に立っているようなものだ。一歩先も見えないし、一歩も先に進めない」とある。

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