和俗童子訓54
貝原益軒著『和俗童子訓』54
二十歳、いにしへ、もろこしには、二十にして、かむり(冠)をきるを元服をくは(加)ふと云。元服とは、「かうべのきるもの」とよむ、冠の事也。日本にても、むかしは公家・武家共に、二十歳の内にて、かうぶりゑぼし(冠烏帽子)をきたり。其時、加冠、理髪の役ありき。今も宮家に此事あり、今、武家に前髪を去を元服と云も、むかしのかふりをきるにたぞらへていへり。元服を加へざる内は、猶わらんべ也。元服すれば、成人の道これより備はる。これより幼少なる時の心をすてて、成人の徳にしたがひ、ひろくまなび、あつく行ふべし。其年に応じて、徳行そなはらん事を思ひて、つとむべし。もし元服しても、成人の徳なきは、猶、童心ありとて、むかしも、これをそしれり。
【通釈】
二十歳。昔、唐土(もろこし)では、二十歳にして初めて冠を被るのを元服を加えるといった。元服とは、「こうべ(頭)のきるもの」と読む、冠の事ことある。日本でも、昔は公家・武家共に、二十歳になる前に、冠烏帽子(かんむりえぼし)をつけた。その時、加冠、理髪の役があった。今も宮家にこの儀式がある、
今、武家で前髪を去るのを元服というのも、昔の冠をつけるのになぞらえていったものである。元服を加えない前は、まだ童(わらんべ)である。元服をすれば、成人としての道がこれより備わることになる。これより幼少の時の心を捨てて成人の徳に従い、広く学び、熱心に行うこと。その年に応じて、徳行がわが身に具わるように思い、努める。もし元服しても、成人の徳が具わらないのは、まだ童心があるからだといって、昔も、これをそしったものである。
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