和俗童子訓53

貝原益軒著『和俗童子訓』53

十五歳、古人、大学に入て学問せし歳也。是より専(もっぱら)義理をまなび、身をおさめ、人をおさむる道をしるべし。是大学の道也。殊更、高家の子、年長じては、諸人の上に立て、おほくの民を預り、人を治むる職分おもし。必小児の時より師をさだめ、書をよませ、古の道ををしえ、身を修め、人を治むる道をしらしむ。もし人をおさむる道をしらざれば、天道よりあづけ給へる、おほくの人をそこなふ事、おそるべし。凡の人も、其分限に応じて、人をおさむるわざ(業)あり。其道を、まなばずんばあるべからず。生質(うまれつき)遅鈍たりとも、これより二十歳までの間に、小学、四書等の大義に通ずべし。若(もし)、聡明ならば、博く学び、多くしるべし。


【通釈】

十五歳。古人は大学に入って学問を始めた歳である。この歳より専ら義理を学び、身を修め、人を治める道を知ること。これが大学の道である。

とりわけ高家の子は、年が長じては諸人の上に立って多くの民を預り、人を治める職分は重いものである。必ず小児の時より師を決め、書物を読ませて古の道を教え、身を修め、人を治める道を分からせる。もし人を治める道を知らなければ、天道より預かっている多くの人を害する事は、なんと恐ろしいことではないか。

凡そどの人も、その分限に応じて人を治める方法がある。だから、その道を学ばなければならない。生まれつき遅鈍であろうとも、これより二十歳までの間に、小学、四書等の大義に通じるようにする。もし聡明ならば、博く学び、多くを知るように努める。


【語釈】

●大学 この大学は中国の漢代に制度化された太学(たいがく)を指すと思われる。太学は大学とも。前漢の武帝が董仲舒(とうちゅうじょ)の献策によって設置したのが始めとされている。儒教を正統学問とした。前漢の太学は長安(現在の西安市)に設けられ、後漢は洛陽(現在の洛陽市)に設けられた。学生たちは地方から選抜され、試験に応じて官に任用された。後漢の時代に学生(弟子員)の数は3万人を越えたとされる。

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