和俗童子訓43
貝原益軒著『和俗童子訓』43
父母やはらかにして、子を愛し過せば、子おこたりて、父母をあなどり、つつしまずして、行儀あしく、きずいにして、身の行ひあしく、道にそむく。父たる者、戒ありておそるべく、行儀ありて手本になるべければ、子たる者、をそれつつしみて、行儀正しく、孝をつとむる故に、父子和睦す。子の賢不肖、多くは父母のしはざなり、父母いるがせにして、子のあしきをゆるせば、悪を長ぜしめ、不義にをちいる。これ子を愛するに非ずして、かへりて、子をそこなふなり。子をそだつるに、幼より、よくをしえいましめてもあしきは、まことに天性のあしきなり。世人多くは、愛にすぎてをごらしめ、悪をいましめざる故、習ひて性となり、つゐに、不肖の子となる者多し。世に上智と下愚とはまれなり。上智は、をしえずしてよし、下愚は、をしえても改めがたしといへども、悪を制すれば、面は改まる。世に多きは中人なり。中人の性は、教ゆれば善人となり、をしえざれば不善人となる。故にをしえなくんばあるべからず。
【通釈】
父母が軟弱で子を溺愛すれば、子は怠けて父母をあなどり、慎みがなく、行儀が悪く、わがままで、行い悪く、道に背くようになる。父たる者、常に戒めて威厳があり、行儀がよくて手本になるようにすれば、子たる者、畏れ慎んで、行儀正しく、孝を務めるようになるから、父子互いに和睦する。
子の賢・不肖は、多くは父母によるものである、父母がいい加減で子の悪い言動を許せば、悪を増長させ、不義に陥ることとなる。これは子を愛するのではなく、逆に子を害うことになる。
子を育てるのに、幼い時よりよく教え戒めても悪いのは、これは天性の悪である。世人の多くは、愛が過ぎて傲慢にさせ、悪を戒めないために習い性となり、ついに不肖の子となる者が多い。
世に上智と下愚とは稀である。上智は、教えなくともよい。下愚は、いくら教えても改め難いといっても、悪を制すれば、少なくとも外面は改まるものである。世に多いの中人である。中人の性は、教えれば善人となり、教えなければ不善人となる。だから教えなければならない。
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