和俗童子訓42

貝原益軒著『和俗童子訓』42

いとけなき時より、年老ておとなしき人、才学ある人、古今世変をしれる人、になれちかづきて、其物がたりをききおぼえ、物にかきつけをきて、わするべからず。叉うたがはしき事をば、し(知)れる人にたづねとふべし。ふるき事をしれる老人の、ものがたりをきく事をこのみて、きらふべからず。かやうにふるき事を、このみききてきらはず、物ごとに志ある人は、後に必、人にすぐるるもの也。又、老人をば、むづかしとてきらひ、ふるき道々しき事、いにしへの物がたりをききては、うらめしく思ひ、其席にこらへず、かげにてそしりわらふ。是凡俗のいやしき心なり。かやうの人は、おひさきよからず、人に及ぶ事かたし。古人のいはゆる、「下士(げし)は道をきいて大にわらふ。」といへる是也。かやうの人には、まじはりちかづくべからず。必あしきかたにながる。蒲生氏郷いといくけなき時、佐々木氏より、人質として信長卿に来りつかへられし時、信長の前にて、老人の軍物語するを、耳をかたぶけてきかれける。或人、是を見て、此童ただ人にあらず、後は必名士ならん。と云しが、はたして英雄にてぞ有ける。およそわかき人は、老人の、ふるき物語をこのみききて、おぼえおくべし。わかき時は、おほくは、老人のふるき物語をきく事をきらふ。いましむべし。又わかき時、わが先祖の事をしれる人あらば、よくとひたづねてしるしおくべし。もしかくの如にせず、うかとききては、おぼえず。年たけて後、先祖の事をしりたく思へども、知れる人、すでになくなりにたれば、とひてきくべきやうなし。後悔にたへず。子孫たる人、わがおや先祖の事、しらざるは、むげにおろそかなり。いはんや、父祖の善行、武功などあるを、其子孫しらず、しれどもしるしてあらは(顕)さざるは、おろかなり。大不孝とすべし。

【通釈】

幼い時より、年老いて静かな人、才学ある人、古今の世の移り変わりを知る人に慣れ親しみ、その人の物語を聞き覚え、物に書き付けておいて、忘れないようにする。また、疑問を物知りの人に尋ねること。古い事を知る老人の物語を聞く事を好むようにし、嫌ってはならない。古い事を好んで嫌わず、物ごとに志がある人は、後に必ず人より優れるものである。

また、老人を難しいと言って嫌い、昔の道理にかなった物語を聞いてはうとましく思い、その場にいることができず、陰で文句を言ったりあざ笑ったりするのは、凡俗の卑しい性根である。このような人は、生い先は良くなく、人に及ぶ事も難しい。古人が言う「下士(げし)は道をきいて大にわらう」のがこれである。このような人には、付き合ったり近づいたりしてはならない。必ず悪い性格になる。

戦国武将の蒲生氏郷(がもううじさと)がまだ幼かった時、佐々木氏より人質として信長卿に来て仕えた時、信長の前で老人の軍(いくさ)物語するのを、耳を傾けて聴いていた。ある人がこれを見て、この童(わらべ)はただの人物ではない、後は必ず名士となろうと言ったが、はたして英雄になった。

およそ若い人は、老人の昔の物語を好んで聞き、よく覚えておくこと。若い時は、多くは老人の昔の物語を聞くのを嫌がるが、それはよくない。

また、若い時にわが先祖の事を知る人があれば、しっかり問い尋ねて記録しておくこと。もしこのようにせず、いいかげんに聞いていては覚えることがなく、年が経ってから先祖の事を知りたいと思っても、知る人は既にいなくなってしまい、問い聞くこともできず、後悔に堪えない。子孫たる人がわが親や先祖の事を知らないのは、なんともいいかげんである。ましてや、父祖の善行、武功などがあるのを、その子孫は知らず、或いは知ってはいてもそれを顕彰しないのは愚かであるし、大不孝である。

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