和俗童子訓28

貝原益軒著『和俗童子訓』28

凡子弟年わかきともがら、あしき友にまじはりて、心うつりゆけば、酒色にふけり、淫楽をこのみ、放逸にながれ、淫行をおこなひ、一かたに悪しき道におもむきて、よき事をこのまず。孝弟を行ひ、家業をつとめ、書をよみ、芸術をならふ事をきらひ、少のつとめをもむつかしがりて、かしら(いたく、気なやむなどいひ、よろづのつとむべきわざをば、皆気つまるとてつとめず。父母は愛におぼれて、只、其気ずいにまかせて、放逸をゆるしぬれば、いよいよ其心ほしいままになりて、ならひて性となりぬれば、よき事をきらひ、むつかしがりて、気つまり病をこるといひてつとめず。なかにも書をよむ事をふかくきらふ。凡気のつまるといふ事、皆よき事をきらひ、むつかしく思へるきずいよりおこれるやまひなり。わがすきこのめる事には、ひねもす、よもすがら、心をつくし、力を用ても気つまらず、囲碁をこのむもの、夜をうちあかしても、気つまらざるを以しるべし。又、蒔絵師、彫物師、縫物師など、いとこまかなる、むつかしき事に、日夜、心力と眼力をつくす。かやうのわざは、面白からざれども、家業なれば、つとめてすれども、いまだ気つまり、病となると云事をきかず。むつかしきをきらひて、気つまると云は、孝弟の道、家業のしはざなどの、よき事をきらふ気ずいよりをこれり。是孝弟・人倫のつとめ行はれずして、学問・諸芸の稽古のならざる本なり。書をよまざる人は、学問の事、不案内なる白徒(しろうと)なれば、読書・学問すれば、気つまり気へりて、病者となり、命もちぢまるとおもへり。是其ことはりをしらざる、愚擬なる世俗のまよひ也。凡学問して、をやに孝し、君に志し、家業をつとめ、身をたて、道を行なひ、よろづの功業をなすも、皆むつかしき事をきらはず、苦労をこらへて、其わざを、よくつとむるより成就せり。むつかしき事、しげきわざに、心おだやかにくるしまずして、一すぢに、しづかになしもてゆけば、後は其事になれて、おもしろくなり、心をくるしむる事もなくて、其事つゐに成就す。又むつかしとて、事をきらへば、心から事をくるしみて、つとむべき事をむづかしとするは、心のひが事なり。心のひが事をば、其ままをきて、事の多きをきらふは、あやまり也。又、「煩に耐ゆる」とは、むつかしきを、こらゆるを云。此二字を守れば、天下の事、何事もなすべし、と古人いへり。是わかき子弟のともがらの守るべき事なり。


【通釈】

およそ子弟が年若くして悪しき友に交わり、心移りがすれば、酒色にふけり、淫楽を好み、放逸に流れ、淫行を行い、一途に悪い道に向いて善い事を好まないようになる。孝悌を行い、家業を務め、書物を読み、芸術を習う事を嫌い、ちょっとした務めさえ嫌がり、頭が痛い、気分がよくないなど言って、いろいろと必要な務めを気持ちが詰まるからといってやろうとしない。

父母は溺愛して、ひたすら子の気持ちのままにさせて放逸を許せば、いよいよ子の心はやりたい放題になり、習い性となってしまうから、善い事を嫌い、難しがって、気分が悪くなり病気になるといって何もしない。とりわけ書物を読む事をとても嫌う。

およそ気が詰まるというのは、なにかにつけて善い事を嫌い、難しいと思い込んでしまうことから起こる症状である。自分が好きな事には、朝から晩まで熱中しても気が詰まることはない。囲碁を好む人が、徹夜をしても気が詰まることがないのと同じである。

また、蒔絵師、彫物師、縫物師など、とても細かくて難しい作業に、日夜、心力と眼力を尽くす。このようなことは面白くはないが、家業であれば精励するし、気詰まりだの、病となるといったことは聞かない。難しいことを嫌い、気詰まりするというのは、孝悌の道、家業などの善い事を嫌う気持ちから起こる。これが孝悌・人倫の務めが行われずして、学問・諸芸の稽古の成就しない原因である。

書物を読まないは、学問の事が不案内な白徒(しろうと)であるから、読書・学問をすれば、気が詰まり気が減って病者となり、命も縮まると思い込む。これは物の道理を知らない世俗の愚昧な迷いである。

およそ学問をして、親に孝行し、君に忠を尽くし、家業を務め、身を立て、道を行ない、さまざまな功業をなすのも、困難な事を嫌わず、苦労をこらえて、その技をよく務めるから成就する。困難な事に、常に心穏やかにして苦しいと思わず、一筋に、静かに続けてゆけば、後はその事に慣れておもしろくなり、心が苦しくなる事もなくて、その事がついに成就する。

また、難しいからといって嫌ったならば、心からその事を苦しいと思い、務めるべき事をやりもしないで難しいとしてしまうのは、間違った心の思いである。心の間違いをそのままにしておいて、やるべき事が多いのを嫌うのは、誤りである。

また、「煩に耐ゆる」とは、困難なことをこらえることをいう。この二字を守れば、天下のどんな事もできないことはない、と古人は言っている。これこそ若い子弟の者たちが守るべき事である。

【語釈】●「煩に耐ゆる」 安岡正篤が中国清代の軍人で政治家であった曽国藩の言葉「冷に耐え 苦に耐え 煩に耐え 閑に耐え 競わず 争わず 以て大事を成すべし」を紹介していることから、曽国藩の言葉と錯覚、誤解する向きがあるが、これは陽明学の祖、明の王陽明の「四耐四不の辞」が元であり、安岡もそれを明示している(安岡語録「一燈照隅、萬燈照国」)。王陽明の言葉は、「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁(さわ)がず、競わず、随(したが)わず、以って大事をなすべし」。曽国藩は貝原益軒よりも後の人であり、曽国藩の言葉を引用できるはずはない。曽国藩は王陽明の言葉を引いたのである。そしてね益軒もまた王陽明の言葉を踏まえている。

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