和俗童子訓24

貝原益軒著『和俗童子訓』24

およそたかき家の子は、いとけなきより、下なる者へつらひ、したがひて、ひが事を云、ひが事を行なひても、尤なりとかんじ、つたなき芸をも、はやく、上手なりとほむれば、きく人、みづからよしあしをわきまへず、へつらひ、いつはりてほむるとはしらず、わが云事もなす事も、まことによき、とおもひ、わが身に自慢して、人にとひまなぶ事なければ、智恵・才徳のいでき、すすむべきやうなくて、一生をおはる。ここを以、高家の子には、いとけなき時より、正直にて知ある人を師とし友とし、そばにつかふる人をもゑらびて、あしき事をいましめ、善をすすむべし。へつらひほむる人をば、いましめしりぞくべし。富貴の人の子は、とりわき、はやくおしえいましめざれば、年長じて後、世の中さかりに、おごりならひぬれば、いきおひつよくなりて、家臣としていさめがたし。位たかく身ゆたかなれば、民のくるしみ、人のうれひ、をしらず、人のついえ、わがついえ、をもいとはず、をごりにならひては、人をあはれむ心もうすくなる。又、さほど高きしなにのほらざれども、時にあひ、いきほひにのりては、つねの心をうしなひ、人に、無礼を行なひ、物のあはれをしらず、人の情をもわすれて、云まじき事をもいひ、なすまじき事をもなす事こそ、あさましけれ。いとけなき時より、いにしへの事をしれる、おとなしく正しきいにしえ人をゑらび用て、師とし友とし、はやく学問をつとめさせ、身をおさめ、人をおさむる古の道をおしえて、善を行はしめ、悪をいましむべし。よき人をゑらびて、もし其人にあらずんば、師とすべからず。すでに師とせば、是をたうとびうやまひ、其をしえをうけしむべし。又、身の養、飲食などの、つつしみをもおしゆべし。左右近習の人をよくゑらびて、質朴にて忠信なる人を、なれ近づかしむべし。必邪佞・利口の人を、ちかづくべからず。かやうの人、はなはだ、人の子をそこなふものなり。又、邪悪の人にあらざれども、文盲にして学問をきらふ師のをしえ、人は、よき事をしらで、幼少なる子の、志をそこなふ。左右の人、正しからざれば、父のいさめ、行はれず。心にかなひたるとて、子の害になる人を、近づくべからず。賈誼がことばに、「太子をよくするは、はやくをしゆると、左右をゑらぶにあり。」といへり。最古今の名言なり。

和俗童子訓 巻之一 終


【通釈】

およそ高官の家の子は、幼い時より下僕たちがへつらい従って、間違ったことを言ったり行ったりしても正しいこととして褒め、つたない芸をも早くから上手ですと褒めるために、それを聞いても自分では良し悪しがわからず、自分のためにへつらい、偽って褒めているとは知らず、自分が言うこともすることも、まことに良いことだと思い込み、わが身に満足して、人に問い学ぶことをしないために、智恵・才徳が生まれ、進歩することがないまま一生を終える。

それであるから、高家の子には、幼ない時より正直で智恵ある人を師とし友とし、そばに仕える人もよく選んで悪い事は戒め、善を勧めるようにすべき。へつらい褒める人は退ける。

富貴の人の子は、とりわけ早く教え戒めないと、年長じて後では、世の中におけるわが繁栄ぶりにおごり慣れてしまい、威勢が強くなって家臣として諫めるのは困難になる。

位が高く身が富裕になると、民の苦しみ、人の憂いを知らず、人のための費用もわが費用も区別がつかず、奢りに慣れてしまっては、人を憐憫する心も薄くなってしまう。

また、さほど高位にのぼらなくても、時に恵まれ、勢いに乗ると、平常の心を失い、人に対して無礼を行ない、物のあわれを知らず、人の情も忘れて、言ってはならないことを平気で言い、してはならないことをするようになる。なんと浅ましいことではないか。

幼い時より、昔の事をよく知り、おとなしく正しい人を選び用いて師とし友とし、早く学問を努めさせ、身を修め、人を治める古聖の道を教えて、善を行なわせ、悪を戒めるべし。

善い人を選んだつもりが、もしそうでなかった場合は、師としてはならない。既に師としたならば、その師を尊び敬い、その教えを受けさせるのがよい。

また、心身の養生、飲食などの慎みをも教えるべき。左右近習の人をよく選び、純朴な性格で忠信な人を近づける。必ずよこしまで口先ばかりの人を近づけてはならない。このような人は、はなはだ人の子をそこなうものである。

また、邪悪な人ではないものの、文盲で学問を嫌う人を師とすると、その教えは善い事を知らず、幼少な子の志をくじいてしまう。左右の人が正しくないと、父の諫めは聞き入れないし、行なうこともしない。心にかなう人だからといって、子の害になる人を近づけてはならない。

賈誼(かぎ)の言葉に「太子をよくするは、早く教ゆると、左右を選ぶにあり」とある。これは古今の優れた名言である。

和俗童子訓 巻之一 終


【語釈】●賈誼 前漢の政治家・思想家・文学家。河南郡雒陽県の人。文帝に信任されたが、重臣らの讒言にあって長沙王の太傅(たいふ)に左遷された。文章家・思想家としても有名。著書に「過秦論(かしんろん)」「新書(しんじょ)」など。「太子をよくするは云々」は『新書』「保傅」篇にある。


【解説】以上は幼児教育の必要性を説く。早い段階から立派な人物を師としてあてがい、特に高位・富裕な家庭の子は傲慢・尊大となり悪事に染まり易いことから、厳しく躾けることが必要であるとする。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。