和俗童子訓18
貝原益軒著『和俗童子訓』18
およそ人の悪徳は、矜なり。矜とは、ほこるとよむ、高慢の事也。矜なれば、自是として、其悪をしらず。、過を聞ても改めず。故に悪を改て、善に進む事、かたし。たとひ、すぐれたる才能ありとも、高慢にしてわが才にほこり、人をあなどらば、是凶悪の人と云べし。凡小児の善行あると、才能あるをほむべからず。ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、わが愚なるも、不徳たるをもしらず、われに知ありと思ひ、わが才智にて事たりぬと思ひ、学問をこのまず、人のをしえをもとめず。もし父として愛におぼれて、子のあしきをしらず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、すぐれたりとほむるは、愚にまよへる也。其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。必其子をほむる事なかれ。其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。をやのほむる子は、多くはあしくなり、学も芸もつたなきもの也。篤信、かつていへり。「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるる也」。
【通釈】
およそ人の悪徳は、矜なり。矜とは、「ほこる」と読む、高慢なこと。矜であれば、自分が正しいとして、それが悪であることがわからない。間違ったことを聞ても改めない。だから、悪を改めて善に進むことは難しい。たとえ優れた才能があっても、性格が高慢でわが才を誇り、人を侮るようであれば、これは凶悪の人とえよう。
およそ小児で善行があるのと、才能があるのとを過度に褒めてはならない。褒め過ぎると高慢になって心だてを害し、自分が愚であることも、不徳であることもわからない。自分に知恵があると思い込み、わが才智で十分と思い、学問を好まず、人の教えを求めようとしなくなる。もし父として愛に溺れて子の悪い点に気づかず、性行がよくなくてもまるで君子のように褒め、才芸が拙いのに優れていると褒めるのは、子の愚に惑わされているのである。
子の善を褒めれば善を失い、その芸を褒めればその芸を失う。必ずその子を過度に褒めてはならない。その子にとって害となるだけでなく、人から愚と思われてしまい、とても残念である。親が過度に褒める子は、多くは悪くなり、学も芸も拙いものとなる。篤信(著者の名)はかつて次のように言ったことである。「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるる也」。
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