和俗童子訓8

貝原益軒著『和俗童子訓』8

凡子ををしゆるには、父母厳にきびしければ、子たる者、おそれつつしみて、おやの教えを聞てそむかず。ここを以、孝の道行はる。父母やはらかにして、厳ならず、愛すぐれば、子たる者、父母をおそれずして、教行れず、いましめを守らず、ここを以、父母をあなどりて、孝の道たたず。婦人、又はおろかなる人は、子をそだつる道をしらで、つねに子をおごらしめ、きずいなるをいましめざる故、其をごり、年の長ずるにしたがひて、いよいよます。凡夫は、心くらくして子にまよひ、愛におぼれて其子のあしき事をしらず。古歌に、「人のをやの、心はやみにあらねども、子を思ふ道にまよひぬるかな」、とよめり。もろこしの諺に、「人、其子のあしきをしる事なし」、といへるが如し。姑息の愛すぐれば、たとひあしき事を見つけても、ゆるしていましめず。およそ人のおやとなる者は、わが子にまさるたからなしとおもへど、其子のあしき方にうつりてのちは、身をうしなふ事をも、かねてわきまへず、居ながら其子の悪におち入を見れども、わがをしえなくして、あしくなりたる事をばしらで、只、子の幸なきとのみ思へり。又、其母は、子のあしき事を、父にしらさず、常に子のあやまちをおほひかくすゆへ、父は其子のあしきをしらで、いましめざれば、悪つゐに長じて、一生不肖の子となり、或家と身とをたもたず。あさましき事ならずや。程子の母の曰、「子の不肖なるゆへは、母其あやまちをおほひて、父しらざるによれり」、といへるもむべなり。


【通釈】

およそを教えるには、父母が厳格であれば、子たる者は畏れ慎み、親の教えをよく聞て背くことがない。だから孝行の道が行われる。父母が柔弱で厳しくなく、溺愛すれば、子たる者は父母を畏れず、教えを行わず、戒めを守らない。そのために父母をあなどり、孝行の道が立たない。

婦人、又は愚かな人というのは、子を育てる道を知らず、常に子を傲慢にさせ、わがままを戒めないため、成長すればますます驕り高ぶるようになる。凡夫は、道理に暗いから子の扱いに迷い、愛に溺れてしまうために子にとって悪いということがわからない。古歌に、「人の親の、心はやみにあらねども、子を思ふ道に迷ひぬるかな」と詠むとおりである。また、中国の諺に、「人、其の子の悪しきを知る事なし」というのも同様。姑息の愛が過ぎると、たとえ悪い事を見つけても赦してしまい、戒めようとしない。

およそ人の親となる者は、わが子にまさる宝はなしと思うものだが、その子が悪い方向に移ってしまった後は身を滅ぼすということまでわきまえず、一緒に居ながらその子が悪に陥るのを見ても、自分が正しく教えないために悪くなってしまったのに、それを知らず、この子はなんて不幸せなのだろうと思うだけである。

また、その母は、子の悪事を父に知らせず、常に子の過ちを覆い隠してしまうため、父はその子の悪事を知らず、戒めることもしないままだから、悪がついに長じて、一生不肖の子となり、或いは家と身とを滅ぼす。なんとあさましいことではないか。

程子(ていし)の母が、「子が不肖なわけは、母が子の過ちを隠して父が知らないことによる」と言うのはその通りである。


【語釈】●程子 中国宋代の儒学者、程顥(ていこう)、程頤(ていい)兄弟の尊称。二程子とも。特に弟の程頤の理気二元論や「性即理」「格物」などの発想は朱熹に継がれ、後世に大きな影響を与えた。主著は『周易程氏伝』『経説』など。一般に「程子曰く」として引かれる言葉や文章は程頤のものが多い。また、子程子という敬称でも呼ばれる。師である程先生、という意味。ちなみに、孔子や孟子については子孔子、子孟子といった用例は殆どないが、弟子の思子は「子思子」、儒家と勢力を争った墨家の墨子は「子墨子」などと尊称したものが散見する。


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