和俗童子訓4

貝原益軒著『和俗童子訓』4

およそ小児をそだつるには、はじめて生れたる時、乳母を求むるに、必温和にしてつつしみ、まめやかに、ことばすくなき者をゑらぶべし。乳母の外、つきしたがふ者をゑらぶも、大やうかくの如くなるべし。はじめていひをくひ、ものをいひ、人のおもてを見て、よろこび、いかるいろをしる時より、常に其の事にしたがひて、時々をしゆれば、ややおとなしくなりて、いましむる事やすし。ゆへに、いとけなき時より、はやくをしゆべし。もし、をしえいましむる事をそくして、あしき事をおほく見ならひ、ききならひ、くせになり、ひが事いできて後、をしえいましむれども、はじめより心にそみ入りたるあしき事、心の内に、はやくあるじとなりぬれば、あらためて善にうつる事かたし。たとへば、小児の手習するに、はじめ風躰あしき手本をならへば、後によき手をならひても、うつりがたく、一生改まりがたきが如し。第一、いつはれる事、次にきずいにて、ほしいままなる事を、はやくいましめて、かならずいつはりほしいままなる事をゆるすべからず。やんごとなき大家の子は、ことにはやく、いましめをしえざれば、年長じては、いきおひつよく、くらひ高くして、いさめがたし。凡小児のあしくなりぬるは、父母、乳母、かしづきなるる人の、をしえの道しらずして、其あしき事をゆるし、したがひほめて、其子の本性をそこなふゆへなり。しばらく、なくこえをやめんとて、あざむきすかして、姑息の愛をなす。其事まことならざれば、すなはち是、偽を教ゆるなり。又、たはぶれに、おそろしき事どもを云きかせ、よりよりおどしいるれば、後におく病のくせとなる。武士の子は、ことに、是をいましむべし。ゆうれい、ばけもの、あやしく、まことなき物がたり、必いましめて、きかしむべからず。或小児の気にさかひたる者をば、理をまげて、小児の非をそだて、そらうちなどすれば、驕慢の心いでくるものなり。小児をもてあそびて、我心をなぐさめんがためにに様々のことばにて、そびやかし、くるしめ、いかり、あらそはしめて、ひがみまがれる心をつけ、むさぼりねたむ、心ざしをひきいだす。しかのみならず、父母の愛すぐる故、あまえて父母をおそれず、兄をないがしろにし、家人をくるしめ、よろづほしきままにして、人をあなどる。いましむべき事を、かへつてすすめ、とがむべき事を、かへりてわらひよろこび、いろいろ、あしき事どもを見さかせ、いひならはせ、しならはせて、やうやく年長じ、ちゑいでくる時にいたりて、にはかに、はじめていましむれども、其あしきならはし、年と共に長じ、ひさしくならひそみて、本性とひとしくなりにたれば、いさめを用ひず。いとけなき時に、をしえなく、年長じてにはかに、いさむれども、したがはざれば、本性あしくうまれつきたるとのみ思ふ事、いとおろかに、まどひのふかき事ならずや。


【通釈】

およそ小児を育てるには、初めて生れた時、乳母を求めるには、必ず温和で慎み深く、まめやかで、あれこれ理屈を言わない者を選ぶのがよい。乳母の外、つき従う者を選ぶのも、同じような者にすべきである。

初めてご飯を食べ、ものを言い、人の表情を見て、喜んだり怒ったりすることを知る時から、常に子の態度を見てはそのつど教えたならば、子は落ち着き、戒めることもたやすくできる。だから、幼い時から早く教えるべきである。

もし、教え戒める事を遅くして、先に悪い事を多く見たり聞いたりしてしまうと、それがくせになり、まちがったことをして、それを教え戒めても、初めより心に沁み込んだ悪い事が心の内の根本となっているため、あらためて善に移る事は難しい。たとえば、小児が習字をする際、初めに様子が悪い手本を使って習うと、後でよい手本を使っても直すことは難しく、一生改めることができないのと同じである。

第一に大切なのは、うそを言う事、次に気分次第でわがままな事を早く戒めて、うそをついたりわがままな事を許してはいけない。とりわけ高位な大家の子は、特に早く戒め教えなければ、年をとると、権勢が強く、位が高くなるために、諫めることが難しくなる。

およそ小児が悪くなってしまうのは、父母、乳母、つき従う人が、聖人の説いた教えの道を知らずに、悪い事を放任したり褒めたりして、その子の本性をゆがめてしまうからである。

しばらく泣き止ませようとして、欺きすかして、姑息な愛情をかける。しかし、その愛情は偽りであるから、これはむしろ偽りを教えることになる。

又、戯れに恐ろしい事などを言い聞かせたり脅かしたりすれば、次第に臆病な性格となる。武士の子は、ことに是を戒めるべし。幽霊や化け物、怪しくて本当かどうかわからないいいかげんな物語は、よくよく注意して聞かせないようにする。

また、小児の気にくわないものを、道理をまげて、小児の非を認めてそれを敲くようなことをすれば、小児は自分が正しいと思い込み、驕慢の心ができてくるものである。

小児をもて遊び、我が心をなぐさめるために、いろいろな言葉で持ち上げたり、苦しめたり、怒ったり、争わせることをしてすれば、ひがんで曲った心にし、貪欲で人を妬む心にしてしまう。

そればかりではない。父母が溺愛すれば、甘えて父母を恐れなくなり、兄をないがしろにし、家人を苦しめ、万事自分の思い通りにしようとして、人を馬鹿にする。

戒めるべき事を逆に増長させ、とがめなければならない事を、逆に笑い喜び、いろいろ悪い事を見させ、いい習わせ、それをさせながら、次第に成長して物心がつく時分になって、急に初めて戒めても、悪いことを習わせ、年と共に長じ、長く慣れ親しんでまるで本性のようになってしまうと、諫めても受け付けない。

幼い時に何も教えず、年長じて急に諫めようとしても従わないのだから、この子は本性が生まれつき悪いのではないかと思い詰めてしまうのは、なんと愚かで迷いの深いことではないか。


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