南留別志406
荻生徂徠著『南留別志』406
一 石をわる物を「げんのう」といふ。殺生石(せっしょうせき)をくだ(砕)きたりといふ。僧の名とせるは、謡(うたい)つくりし人の滑稽なるべし。今の世になりては、宗派につらねて、まことにさ云ひしがあるやうなり。大幻法門とかいふもまことなりけり。
[語釈]
●げんのう 玄翁。金槌のこと。一説に僧の名が由来としするが、徂徠は謡曲の作者の戯れとし、さらに、このような例が宗派によりまことしやかに伝えられているとして否定している。
●殺生石 栃木県那須町の那須湯本温泉付近に存在する溶岩。付近一帯に火山性ガスが噴出し、昔の人々が「生き物を殺す石」だと信じたことからその名がある。伝承上、この石に起源を持つと伝えられている石が全国にいくつかあり、それらの中に「殺生石」と呼ばれているものがある。
鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性・玉藻前が、正体が妖狐の化身であることを見破られ、逃げた先の那須の地で討伐されて石となったという逸話がある。しかし石は毒を発して人々や生き物の命を奪い続けたため「殺生石」と呼ばれるようになり、至徳2年(1385年)には玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国に飛散したという。殺生石が飛散した先は日本各地の「高田」という地名の3ヶ所(諸説あり)とされ、一般には美作国高田(現・岡山県真庭市勝山)、越後国高田(現・新潟県上越市の高田地区)、安芸国高田(現・広島県安芸高田市)、豊後国高田(現・大分県豊後高田市)、会津高田(現・福島県会津美里町)のいずれかとされる。「高田」以外の地に破片が散ったとする伝承もあり、飛騨では牛蒡種に、四国では犬神に、上野国ではオサキになったという。
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