南留別志403

荻生徂徠著『南留別志』403

一   高泉の、異国より持ち来りし母の神主に、長金孺人(ちょうきんじゅじん)神主と題せりと、高泉に従ひし僧のかたりし。亡者に戒名つくる事は、異国にもなき事なり。仏法にもなき事なり。


[語釈]

●孺人 中国で、大夫の妻を敬っていう語。『礼記』(らいき)「曲礼(きょくらい)下」に「天子の妃を后といい、諸侯は夫人といい、大夫は孺人といい、士は婦人といい、庶人は妻という」とある。我が国では単に妻を指す。


[解説]戒名は僧侶が戒めの名としてつけるもの。宗派によっては法名、法号ともいう。現代は人が亡くなると仏弟子になるといったことから戒名をつけることが一般化しているが、徂徠がいうように、亡者(死者)につけるものではなく、これは中国日本ともになかったことである。戒名はプロである僧侶がつけるもので、宗派によりいろいろな定めがあり、使用してはならない文字といったものもあるが(さらにいえば階級もある)、故人に絶対つけなければならないとか、僧侶から授かるものといった決まりはない。自分で生前に決めておくこともできるし、つけないことも可能。正岡子規は「子規居士」といった簡素なものだし、生前に戒名をつけないように命じた森鴎外は、遺族らが「そうはいかない」ということで立派なものが4つもつけられたといったような例もある。戒名に院号をつけることもあり、漱石は「文献院古道漱石居士」で、「文献院」という院号が冠せられている。院号とは、本来は廃れた寺社を復興させたり、本堂などを寄進したような、その寺社に多大な貢献をした人に対して与えられるもので、江戸時代の大名らはこぞって寺社にさまざまな寄進をしたことから「~院」がつき、さらに「殿」もついて「~院殿」となっている。現代でも莫大な寄進をした有力者などは「~院殿~大居士」といったものものしい戒名を拝受しているが、戒名料として数千万、中には数億を出す人もいるという。徂徠のみならず、昔の人が知ればどう思うことか。なお、位牌は元来儒家で行われていたもので、もともと日本にはなかった。

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