南留別志385
荻生徂徠著『南留別志』385
一 今の世の物学びたる輩の、仮名(けみょう)を字(あざな)に用ふるあり。仮名のやうなる事は、異国にもある事なり。世俗の称呼にて、字にはあらず。吾邦の人は、字はなきなり。字のつかんと思ふ人は、別につきたらんまされり。
[解説]字は中国に始まる風習で、字は本人の好みや、目上の者が本人の徳などを考慮したりなどしてつけられ、字ができると本名はあまり使われない。このため、本名は諱(いみな)ともいう。普通、長上の者に対しては自分を本名でいい、同輩以下の者には字を使う。他人を呼ぶときにも字を使うが、目下に対する場合や、親や師がその子や弟子を呼ぶ場合には本名を用いる。日本でも、特に漢学を学ぶ者が字を好んでつけた。初めは一字で、菅原道真の菅三、三善清行(みよしきよゆき)の三耀、氷宿禰継麻呂(ひのすくねつぐまろ)の宿栄などのように、姓氏や姓(かばね)を配したが、江戸時代になると、新井白石(名は君美(きんみ))の在中、貝原益軒(名は篤信)の子誠のように変わっていった。人々が呼び習わしている別名や通称も字ということがあるがこれは本来あだ名(渾名、綽名)であって、字とは別。徂徠の言う仮名(けみょう)は別名、通称のことで、字とはいえない。
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