南留別志384
荻生徂徠著『南留別志』384
一 日の神の天磐戸(あまのいわと)にこもりたまひしといふは、日食のことなり。諸神の神楽を奏せしといふは、日食を救ふわざなるべし。
[解説]天岩戸伝説(太陽の神であるアマテラス大御神が岩戸に隠れたために世間が真っ暗になったという神話)について、徂徠は日食説を呈している。江戸時代になると神話の分析がすすみ、科学的とまではいかないものの合理的な解釈をする向きが次々と出てきた。時代はそれほど進歩したのである。しかし、一方では神話は事実であり、いかなる解釈も認めないという人たちもおり、現代でも一定数存在する。教科書を通して神話は事実として教えようといったことは昔にはなかったことで、もし徂徠当時に朝廷や幕府が「神話は事実である」と厳しく布告し、そのような教育を徹底したならば、徂徠のこの説も弾圧対象となったはずである。四書五経の素読といったように、昔は既成の古典を教科書、修養の書として読んだもので、自説に、あるいは支配統制に有利なように独自の教科書を編纂して、それを使用させるということをしなかった。この点は先人たちのほうが教育というものに対して正しい捉え方、向き合い方をしていたと思う。
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